”人を動かす”の著者 デールカーネギーはどんな人?
沢山の人が”人を動かす”の著者を、米国の鉄鋼王であるアンドリューカーネギーと勘違いする人が多いですが、実際の著者はデールカーネギーという人です。この記事ではデールカーネギーとはどんな人か?についてまとめてみたいと思います。
目次
デールカーネギーとは若いころは劣等感が強かった
デールカーネギーは1888年といいますから、日本では明治21年に米国のミズリー州の農家に生まれています。ミズーリ州は、アメリカ合衆国中西部のミシシッピ川沿いにある内陸の州で、ちょうどアメリカ合衆国の真ん中あたりの週です。有名な五大湖の南西側に位置します。この場所だといかにも農家が多いというのは想像できますね。
カーネギーは大学を卒業しています。ミズーリ州の学芸大学、即ち教員を目指す大学に進みました。当時彼は非常に劣等感が強かったそうです。その劣等感を克服しようと考えて弁論の勉強をしたそうです。それがその後のカーネギーにとって役立つことになりました。
大学を卒業した後は、先生、セールスマン、食肉会社の会社員など様々な職業を経験したようです。なぜ仕事が転々としたかは少し興味深いですね。そうした仕事を経てどいういう理由かはこれもわかりませんが、1911年、23歳の時にニューヨークに移り住み劇団員になったようです。ところが劇団員もすぐ辞めてしまい、今度はトラックを売るセールスマンになりました。ここまでの経歴をみると、仕事をしても長続きをしない人というように見受けられますね。
そのあとに、彼は”自分に最も適している仕事は弁論に関する仕事だ”と思い立ち、YMCAの弁論術講座の先生になったことをきっかけに、成人教育の先生として報酬も増えていったのです。
テキストブックを作ることを決意
その後もカーネギーは成人教育で成功し、ついにはデールカーネギー研究所という機関をつくり、そこの所長として、話術及び人間関係分野を研究し、教えるという事業を拡大していきました。米国のみならず欧州にお行って講習会を行ったり、大会社の顧問になり社員教育を行うなど大成功を収めました。
このように様々な企業などに対して話術、人間関係などの指導を行うにあたって、適切なテキストブックが無いかと探したところ、見つからなかったので、それなら自分で書こうと思い立ちまずは講習会のためのテキストブックを著述することを決意しました。
テキストブックをもとに、”人を動かす”が完成
デールカーネギーは本を書くにあたって、今までのご自身の経験もさることながら、資料集めをしたそうです。助手も使って約年半資料を集めました。それは様々な書物を集めると共に、有名人のとろを沢山尋ねてインタビューするなどの作業もしたうえで、テキストブックが出来上がり、それを講習会で使用するようになりました。
講習会を行うたびに、そのテキストブックが改版、ページ数も増えて、それが一冊の本のボリュームに至り出版することになりました。
テキストブックが出来上がって15年の歳月を経て、”人を動かす”が完成しました。初版が発行されたのが1936年10月。カーネギーも48歳になっていました。
初版発行以来、すでに86年の歳月が経ちましたが、今でも”人を動かす”は人間関係の名著として沢山の方に愛読されているというわけです。
一方アンドリューカーネギーはどんな人?
一方”人を動かす”の著書に良く間違えられるアンドリューカーネギーという人についても触れておきたいと思います。
アンドリューカーネギーは、1835年にスコットランドで手織り職人の長男として誕生しました。デールカーネギーよりも53年早く生まれています。1848年に一家が米国に移住しましたが、家計が苦しかったので13歳からも働きに出ました。その後製鋼工場経営で大成功、財産を築き、その後鉄鋼王として、成功し、晩年は著述家になったり社会活動家になったりして世の中でも有名人になりました。
そしてアンドリューカーネギーから様々な教えを乞うて、”成功哲学” ”思考は現実化する”という本を書いたのがナポレオンヒルという人であり、この本も自己啓発の本として大変有名です。それで”人を動かす”と混乱して、”人を動かす”の著書がアンドリューカーネギーだという誤解が生じたのだと思います。
まとめ
デールカーネギーの”人を動かす”は、彼が人間関係、話術の先生として様々な企業に対して教えてきた内容が積み重なって出来上がった実践書だということが良くわかります。これからも私もことあることに、この本を読み直してみたいと思います。