アマチュア無線について
ポッドキャストでも配信しています
↓
目次
はじめに
この記事では、アマチュア無線の思い出という話をします。
みなさんアマチュア無線と言う言葉はご存じでしょうか? ”ハム”とも言いますが、あまり最近はこの言葉も”アマチュア無線”という言葉も聞かなくなりました。
アマチュア無線とは?
アマチュア無線とは、家に無線局を設置して、日本全国、さらには外国の人と直接電話でつないで話をしたりすることが出来る無線であり、今でも日本で36万局くらいあります。
ピーク時の1995年は136万局あったので、それから約100万局くらい減少したことになります。
アマチュア無線局が減少した理由としては、
1995年以降くらいからインターネットの普及によって世界の様々な人とインターネットを通じて、話が出来るようになったので、アマチュア無線のありがたみが減ったと言わざるを得ません。
それでもアマチュア無線は、インターネットのように様々なネットワーク設備を経由して繋がるのでは無く、空中に電波が送られることによって直接相手と話が出来るというのが醍醐味なのです。
私のアマチュア無線の思い出
私がアマチュア無線を行っていたのは殆どは中学生のときです。
中学1年のとき、文部省認定のラジオ工学講座というのを受講してラジオを制作したりしてましたが、その後、無線従事者教育協会の主宰のアマチュア無線講座を受講して勉強し、確か中学2年の2学期の頃電話級アマチュア無線技士の試験に合格して、アマチュア無線を始めました。
そのとき親に買って貰ったアマチュア無線の機械が八重洲無線のFT401Sという製品でした。
その製品で、3.5MHz、7MHz、14MHz、21MHz、28MHzという当時のアマチュア無線帯で
通信を行うことが出来ました。14MHzは電話級では使用出来ませんでした。また3.5MHz帯は大きいアンテナが必要と言うことで、私は7MHz帯、21MHz帯、28MHz帯を主に使用していました。
相手との通信の仕方は、”CQ CQ こちらJE1NDR、ジュリエットエコーーワン ノーベンバー デルターロメオ” とコールサインを話して、誰かが応答すするのを待つというやり方だったと思います。
見知らぬ相手の方とお話しして、最後にはQSLカードを交換するということや日本全国の人と更新をするとJARL(日本アマチュア無線連盟)に申請して賞状がもらえるなど(有料ですが)をしながら楽しみました。
アマチュア無線のアンテナは,確か7MHzから28MHzまでをカバーする”アサヒ”というメーカ製造のグランドプレーンアンテナというのを物干しに設置し、なんとアンケートハガキを送ったら、そのメーカがが製造していた八木アンテナが当選して、家に送られてきました!
そこで、エモテーターというアンテナを回す機械も買って貰い、八木アンテナを物干し台に設置しました。
電話級アマチュア無線技士の場合は、空中戦電力が最大10Wで普通は外国と繋がるのは難しいのですが、確か21MHzか28MHzでEスポという電離層が現れたときには米国やオーストラリアとアンテナをその国の方向に向けることで交信出来たことがあります。
中学2-3年の片言の英語で相手と会話が出来て、QSLカードの交換が出来たのは感動的でした。
アマチュア無線によって性格が変わりました!
私が一番変わったのは、中学2年までは比較的無口だったのが、アマチュア無線でいろいろな人と話すことによっておしゃべりになりました。
また中2でああチュアム線をしているのは最年少に近く、相手の方からかわいがられたものでした。
メーカエンジニアになったのはアマチュア無線がきっかけ
高校になりアマチュア無線は殆どやめてしまいましたが、やはりアマチュア無線を行ってたというのが、その後電気メーカにいきたかった、それも無線通信関係の仕事をしたいと思ったきっかけです。
アマチュア無線の免許は一生有効ですので、またアマチュア無線を行うというのも楽しいかも知れません!
次の記事へ