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母親について

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今年の2月で92歳になった母親について書きたいと思います。

 

うちの母は生まれは東京でしたが、小学校・女学校は名古屋だったと思います。

 

母の父、すなわち私の母方の祖父が富士通信機に務めていて電話交換機に関する仕事をしていたそうです。

後に私が電話機開発設計の仕事に関わったのも何かの縁です。

太平洋戦争の時も名古屋の家にいて、昭和20年でしょうか?名古屋空襲のときは家の庭に焼夷弾が落ちてそれをなんとか祖父が消し止めたので家が焼失しなくて済んだそうです。

 

戦後、東京に出てきて多分、母の兄に頼って、就職をして洋酒の会社に務めてタイピストのような仕事をしていたと聴いてます。(これももう一度確認必要ですね!)

その後、母の叔母の紹介で、今の父とお見合いをして結婚することになったみたいです!

 

結婚後は専業主婦で、ずっと私と私の兄の子育てをしてくれました。

私は小学校くらいまではかなりの甘えっ子で母親にくっついてばかりいたと記憶しています。

 

小学校の時の思い出は、私はいわば軽い言語障害があって、”さしすせそ”の”さすせそ”と”たちつてと”の”つ”の発音がきちんと出来なかったのです。小学校4年の途中まで出来ませんでした。

 

それを一生懸命近くの東京大学分院に通ってきちんと発音できるようにしてくれたのも母のおかげです。

 

その後、高校の時は反抗期で母親に色々と逆らっていたものでした。反抗期だとそうなるというのは自分自身の体験ですね・・・

 

そして大学入学のころ、私は難病に罹り、一番身体が調子悪く、そのときも漢方医のところに通って漢方薬を飲んだりするうちに大学卒業の頃にはほぼ完治しました。これも母親のおかげです。

 

ということで振り返ると母には沢山苦労をかけたと思います。あっという間に月日は過ぎ去りました。

自分では実家に帰るとある意味子供に戻ってしまうわけで、こんなに長い年月が経過したこと自体夢のようですね・・・

 

今は、東京に行くたびに実家に立ち寄り母親、父親と食事をしたりしています。

この数年も私の主宰したイベントには何度か足を運んでくれたりしました。

是非100歳を目指して長生きをしてほしいと思っています。

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