PHSデータ通信カードの開発
目次
PHSデータ通信カードの商品開発に携わりました
2002年6月に米国から引き揚げてきて、元の松下通信工業の携帯電話やPHSのソフトウエア開発部門に”配属”になりました。初めの仕事は、1990年代に戻ったかのように、PHSの商品開発に関わることになりました。ただ1990年代と違ってPHSの電話をする子機ではなく、PHSのデータ通信カードでした。
2000年位からPHSのデータ通信カードは2機種商品化されていました。私が任されたのは3機種目で、セールスポイントはPHSと無線LANのデュアルカードでした。
無線LANも2000年くらいからパソコンなどで使われつつありましたが、当時はまだ全てのパソコンに無線LANが搭載されているわけではありませんでした。でも少しずつ家の中などでも無線LANを使ってパソコンでインターネット接続をするというのが普及し始めた頃でした。
何故なら、インターネットに接続する有線回線も元々のアナログ回線や、ISDNというデータ通信回線に替わって、ADSLが出てきて一挙に速度が増したのです。
アナログ回線はせいぜい28Kbpsくらいの速度、ISDNは普通は64Kbpsくらいの速度でしたが、ADSLはそのとうじでも1Mbps位の伝送速度ということで一挙に日本もブロードバンド回線の普及が始まったころでした。
一方無線LANは、2002年当時は2.4GHz帯で802.11bというのが普及しつつあり、その最大伝送速度が11Mbpsだったので、ブロード回線の後に、家の中で無線LANを使うという需要が生まれてきたわけです。
一方、今でこそ家の外で無線LANが使用できるところが沢山ありますが、当時はあまりなかったので、外ではPHSのデータ通信を使おうということで、パソコン向けにPHSと無線LANのデュアルカードを開発することになったのです。
PHSデータ通信カードの開発は事業者からの依頼でした
この開発は事業者であるN社からの依頼でした。ところが開発当初で、一つ新たな依頼が来ました。それは、N社の対抗馬であるD社がパケット通信によるPHSデータ通信を始め、それも定額制データ通信サービスを開始したので、データ通信カードでのシェアをN社がD社に奪われているという問題を解決するサービスを始めるのを目的とする開発でした。
N社はネットワークの都合で、簡単にパケット通信が出来なかったので、専門的な言葉で恐縮ですが、回線交換方式でデータ通信は行うものの、Webアクセスやメール送受信をしていないときは無線通信は止めてしまう!という方式を採用して、D社に対抗して定額制を行おうということになったのです。(この方式のことをドーマントと呼んでいました)
急遽この方式に対応するPHS単独のデータ通信カードも作ってほしいという依頼がN社から来て、私はプロジェクトのリーダ兼ソフトウエア開発リーダとなりました。無線LANとのデュアルカードと並行して開発することになりました。
商品開発を愚直に行うことを徹底しました
このプロジェクト自体は、私も久しぶりに商品開発を行うことになったので、良いものを納期通りに納入したいという気持ちが非常に強く、N社を通じてネットワーク側を担当している別会社との打ち合わせを早く実施したり、商品開発までのスケジュール表をち密に作ったり、課題管理表もち密に作り毎日朝晩をそれをメンバーとチェックしたりというように、几帳面に開発設計プロジェクトを進行することにより、予定通り2003年の4月1日に製品を出荷することが出来ました。
90年代はコードレス電話やPHSで色々開発面で失敗したりした経験がやっとこのPHSデータ通信カードの開発で実ったという経験をしました。
Pin-Freeの開発での教訓
・前倒しで開発設計していくことは、納期を守るうえで重要
・課題管理表を常にチェック、更新していくこともとても重要
・原因がなかなか分からない問題がある場合には、いかにフェールセーフをするかという考え方も重要
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